ひまりeの闘病ブログ

自分を愛すことが大切です。

どの病気がどう辛いのか

私は統合失調症過敏性腸症候群パニック発作を持っていますが、どの症状が1番辛いものなのかというおはなしをしましょう。

 

【結論】

全部違うベクトルで全部辛いです。

 

これじゃおはなしにならないので、それぞれどう辛いのか、というおはなしに変えましょう。

⚠️以下は症状も含め、すべて私個人の体験です。

 

 

 

統合失調症

 

[私の統合失調症

私の場合、幻聴が聞こえます。

といっても、統合失調症によくあるような、他人が自分を責める声が耳から聞こえるわけではないんです。

頭の中で、はっきり、鮮明に、響いてきます。

初めは自分が自分を責めているんだと思っていました。自分の声なのでは?と。

しかし今は、これは病気のせいなのであって、勝手に聞こえてくるものなのだなと認識しています。

 

聞こえてくる前兆としては、昔の思い出が蘇った時です。

恥ずかしかった記憶を思い出した時に「◯ね」「◯んでしまえ」「消えろ」と、私を責め立てます。

でも最近は楽しかった思い出の時にでも聞こえることがあるので不思議です。

 

そして、その「◯ね」を頭の中で振り解くために、「わん!」と口に出すことがあります。もちろん1人の時にですよ?

ごちゃごちゃ考えている最中に「あーもー!」などと口に出して切り替える人がいると思うのですが、それと同じです。

「わん!」と言うだけで頭が切り替わります。わんじゃなくても、振り解きの言葉はなんでもいいです。

私はなぜか「わん!」です。

 

🍎統合失調症の辛さ

普段生活している中、いろいろしている時にほぼランダムで突発的に「◯ね」と聞こえてくるところ。不快です。

 

 

 

過敏性腸症候群

 

[私の過敏性腸症候群

内科のお医者さんに、自律神経の乱れによって引き起こされるものだとして診断されました。

お腹が痛くなったり、以下は少し汚い話になりますが、下痢と便秘を繰り返します。ゲップも食事の後、毎回苦しいです。

今はお薬で便の調子はかなり整えられていますが、便の調子が悪すぎると、トイレに間に合わないことがあります。

ゲップはなかなか治りません。お医者さんには、食事の時は30回噛んで飲み込むように、と言われたのですが、これがなかなか難しく、家族と食べている時は会話に集中するのでほぼ無理です。

 

🍎過敏性腸症候群の辛さ

外でトイレに間に合わないかもしれない恐怖。

外で大きなゲップが出るかもしれない恐怖。

 

 

 

パニック発作

私の場合、発作は夕方3〜5時に、週1回程度やってきます。「ヤツ」はなんの前兆もなくやってきます。

パニック発作の感覚って、どのようなものなのか、罹った人でないとなかなかわからないと思うのですが…

 

・夜ホラー映画を観た後に、お風呂場で背後が気になるけど振り向けない時の恐怖。

・溺れてる時の、苦しさより先に来る恐怖感。

 

と、私は例えています。なかなか伝わらないんですけどね。

 

🍎パニック発作の辛さ

来る時間は大体決まってるし、頓服薬も効くから、対処はできる。ただし、発作が来たその時はなにより辛い!頭は不安を通り越して恐怖でいっぱい!

 

 

 

以上で、あくまで私個人の、症状の辛さの話は終わります。最後に一言だけ。

 

健康第一!

はじめまして。統合失調症です。

はじめまして、ひまりeと申します。

精神疾患を持つものとして、今日から闘病生活について書いていきます。

本当は「闘病」という言い方はあまり好きではなく、病気と共に生きていく「共病」なんかが好きです(こんな言葉、あるんでしょうか)。

 

【中学編】

私が心療内科にかかったのは、中1〜2のころ。市販のよくわからないお薬をたくさん飲んでしまったんです。

心療内科のクリニックで診断されたのはうつ病自律神経失調症睡眠障害でした。

両親の離婚が大きな原因だったと思います。私は離婚の際、父側につきました。

それから10年近くこのクリニックでお世話になります。

 

私立の女子校に通っていた私ですが、退学し、地元の中学校へ手続き上転校しました。

不登校と引きこもりの始まりです。父は仕事に行ってしまい、姉も家にいるわけではないのでずっと1人でした。

昼夜逆転をしているので、夜中に起きてアニメを見たり、大好きなポケモンをしていました。

しかし、転校先の中学校のダンス大会にどうしても見にいきたくなりました。将来高校に進学希望だったこともあり、勉強に励むためにも、中3くらいのときに中学校に通う決心をしました。

 

中学校初日、今から考えてみても、人生でもっとも勇気ある行動をとった出来事があります。

「それじゃあ、みんなの前で自己紹介してね」

そんな恐ろしいことを担任の先生に言われたのです。

不登校で世間知らず、コンプレックスだらけの私。

外に出るとクラスメイトに出会う恐怖で引きこもりの私…。

しかし、緊張でどうにかなってしまう!と汗ダラダラで教壇に立ち「よろしくお願いします、好きなものはポケモンです」とクラスメイト全員に言いました。これが人生最大の勇気です。

 

中学の間は情緒不安定で、小学校の時からの親友で、私に絵を描くことの楽しさを教えてくれた女の子にひどいことを言ってしまいました。

それ以降その子とは関わりを持っていません。またいつか会えたらいいなとふと寂しくなります。

卒業文集には、勉強、勉強、勉強。そんなに勉強をしていたわけでもないのに、それ以外に思い出は頭に思い浮かびませんでした。勉強ができることこそ人生だと思っていました。

 

【高校編】

高校は、通信制と通学制(週4でスクーリング)の二つの方法をとっている高校に、まず通学生で入りました、

そこでは友達もでき、勉強もよくでき、調子よくやっていました。

大学受験も頑張るぞ!と意気込み、通信制に途中から移って、スクーリングが無い空いた時間で予備校で勉強を始めました、

しかし、そううまくはいきませんでした。

通信制のレポートはわけがわからない。予備校もついていけず、半年留年してなんとか卒業しました。

卒業したはいいものの、(仮)浪人生活が続きます。

その頃はベッドから起き上がれるかが勝負と言っていいくらい、精神的に生活困難でした。

【大学、その後編】

22歳の時になんとか私立大学に合格。ギリギリ中のギリギリで受かりました。

そしてその年の5月でした。

カルバマゼピンを80錠近く飲みました。自ら救急車を呼んだ私は、近くの病院に搬送されました。

手足グルグルまき。尿道に管を入れられ、おしっこが勝手に出る仕組みで3日〜1週間くらい緊急病院のベッドですごしていました。

さらにまた別の精神科の病院へ搬送され、そこで1ヶ月間閉鎖病棟で暮らします。担当の先生が非常に優しい方で、大好きでした。今もその病院で、先生は違う方ですか、お世話になっています。

入院中誕生日を迎えた私は、気づいたら23歳になっていました。

診断されたのは統合失調症でした。

 

入院したあたりから、パニック発作も患っていて、頓服薬のランドセンは欠かせません。

下痢と便秘を繰り返し、内科に行ってみると、過敏性腸症候群でした。そのお薬も飲んでいます。

睡眠用のお薬も飲んでいます。中途覚醒(寝ている途中で目が覚めてしまうこと)が起こります。

入院してから「行動記録表」を書くように先生に言われ、大好きな先生との約束だと思って書き続けました。1週間に1枚、今は80枚あります。現在24歳です。

 

そんなわけで、これから病気と共に生きていくためにはどうすればいいか考えながら、ブログを書いていきます。

 

最後に。

私の大きな心の支えはいつも父です。

「愛しているよ」「幸せになるんだよ」と、毎日言ってくれるのでした。